「車がなければ困るのは田舎だけ?」
この問いに、あなたはどう感じますか?
都市部では「車は贅沢品」として語られることがあります。電車やバス、シェアカーや自転車──移動手段が充実している環境では、それも当然の感覚かもしれません。
けれど、私の生まれ育った田舎では違いました。
そこでは「車を持っている」ことは、決して贅沢ではありません。むしろ、仕事や買い物、通院や子どもの送り迎えといった**“当たり前の生活”を支える道具**でした。
この記事では、
- ガソリン代が生活にどう直結しているか
- 都市部との感覚のズレ
- 「車=生きるための足」としての現実
を、自分自身の体験を交えながらお伝えしていきます。
ガソリンの話題が出るたびに、「自分には関係ない」と思ってしまう方にこそ、ぜひ読んでいただきたい内容です。
ガソリン代は“固定費”──生きるためのエネルギー
「車=贅沢」と言われたら、地方の人はきっと首をかしげるでしょう。
1人1台、それが当たり前の場所で、今日も私たちは生きています──。
田舎で車は当たり前
都会で暮らしている方には、少し驚かれるかもしれません。でも、私の地元では「1人に1台、車がある」ことは珍しくも何ともありません。むしろ、それが“暮らすための前提”です。
都市部であれば、電車や地下鉄、バス、シェアサイクルなど、移動手段が豊富にありますよね。コンビニも、スーパーも、病院も、駅から歩いて行ける距離にあります。でも、地方では違います。
最寄りのスーパーまで片道20分。
駅までは徒歩40分。
バスは1日に3本──
そんな場所が、ざらにあるんです。しかも、通勤や通学、買い物、病院、保育園の送り迎え、親の介護…。こうした日常の移動を支えているのが自家用車です。
1家に1台では足りません。夫婦が別々に働いていたら、当然2台必要ですし、子どもが高校・専門学校に通えば、3台目が必要になることもあります。車がないということは、移動の自由がないということ。
そしてそれは仕事や教育、医療へのアクセスの自由がないということです。
地方において「車を持つ」ということは、単に移動するための手段ではなく生きるための条件そのものなのです。
ガソリン代が家計を削る
都会では、「ガソリン代って高いよね」という話題が出ても、それはたまの遠出や旅行のときのこと。
もしくは、“車を持っている一部の人たち”の話に感じられるかもしれません。
でも地方に暮らす私たちにとって、ガソリン代は家賃や光熱費と同じく「固定費」です。
毎週、1台あたり30L近くを満タンにして、それを週に1度は必ず補給する。そんな生活を、1人に1台で行っているのが現実です。
しかも、ちょっとコンビニへ、ちょっとスーパーへ、ちょっと病院へ。日々の“ちょっと”が、すべて車移動。つまりガソリンを使っています。
雪が降れば暖気運転で数十分エンジンをかけっぱなし。坂道が多ければ燃費も悪化。ガソリン価格が10円上がれば、月の家計にじわじわ響いてきます。それでも、車を手放すという選択肢はありません。なぜなら、車を持たないということは「生活ができない」ことと直結するからです。
つまり、私たちにとってガソリンは“贅沢品”ではなく、“生活そのもの”に必要なエネルギーなのです。
ガソリン代月4万は“贅沢”じゃない
車がなければ生活が回らない──
それが、地方では「普通」の現実です。
スーパーも病院も遠く、電車もバスも1日に数本。移動のすべてを支えているのが車とガソリン。月4万円かかっても、それは“贅沢”ではなく、ただ“生きるために必要なコスト”なのです。
ガソリン代、月2万は当たり前
「軽は燃費がいいから、コスパもいいでしょ?」
──そう思われる方も多いかもしれません。たしかに、軽自動車は燃費性能が高く、車両価格も比較的手頃。都市部では「経済的な選択肢」として人気ですよね。
でも、それが“田舎で使う”となると話は別です。
片道20分のスーパー、30分の職場、送り迎えに往復1時間。日々の移動距離が長く、必然的にガソリンの消費量も増えます。週1回の給油で1回あたり30L前後、満タン約5,000円。それが月に4回で2万円前後になるのは、もはや「普通」の感覚です。
燃費が良くても、走る距離が多ければ意味がない。そしてこの移動が、生活のあらゆる場面に絡んでいる以上、ガソリン代を削る=生活を削ることに直結してしまいます。
「軽だから大丈夫」というのは、残念ながら都会のイメージに過ぎないのです。
夫婦で月4万、それが日常
田舎では「1人1台」が当たり前。つまり、夫婦で暮らしていれば車は2台必要です。
片方の車だけでは生活が回らないのです。通勤先が別だったり、片方が子どもの送迎や親の介護を担っていたり…。どちらの車も「毎日走る」ことが前提となっています。
そうなると、ガソリン代は単純に2倍です。軽自動車を週1回、1台5,000円分入れるとすると、月2万円。それが2台あれば、何も特別なことをしていなくても月4万円が消えていくことになります。
旅行もしていない。遠出もしていない。ただ“普通に暮らしているだけ”。それでも、ガソリン代だけで4万円。これが私たちの「現実の生活費」です。
そして、それでも車を手放せない──それが地方の暮らしなのです。
車なしじゃ暮らせない地方の現実
車があると聞くと、「便利そう」「自由でいいね」と言われることがあります。でも、地方での車は、便利のためではなく、生活を成立させるための道具です。「無くても困らない」のではなく無いと生きていけない。
病院も、役所も、職場も、コンビニも、保育園も…
すべてが“徒歩圏外”にあるからです。
電車の本数は1日に数本。バス停まで1km歩いて、そこからさらに数時間待ち。その不便さの中で暮らすには、車しか手段がありません。都会のように「電車があるから不要」と言えるのは、交通網が整った環境での話。私たちの暮らす現実では、車は“生活インフラ”の一部なのです。
スマホがなければ困るように。水道がなければ生活できないように。車がなければ、何も始まらない。ガソリン高騰が“贅沢な移動”へのブレーキではなく、“日常の機能停止”になってしまう地域が、全国にはたくさんあるのです。
移動の自由を知らなかった私たち
「なんでそんなに車に頼るの?」「バスや電車を使えばいいじゃない」──
そんな言葉に、地方で育った私たちはうまく返せないことがあります。なぜなら、
“移動の自由”を経験したことがなかったからです。
通学・通院・買い物・送迎…
すべての「移動」が制限付きで、選択肢がない生活。
自転車では届かない距離。電車は1日数本。親に頼るのも限界がある。
そんな現実の中で育った私たちにとって、車とは「ラクをするため」ではなく、
ようやく手に入る“小さな自由”の象徴でした。
この章では、車が“生活の甘え”ではなく“生活の答え”だった理由を、
私自身の体験を通してお伝えします。
毎朝が勝負、電車は1両編成
私の通っていた高校は、電車で約1時間の距離にありました。
田舎なので当然、本数は少なく、通学に使える電車は朝の7:20発の1本しかありません。
その電車を逃すと、次に来るのは9時過ぎ。
つまり、1本逃しただけで授業2コマ分が欠席扱いになるのです。
朝はまだ薄暗い中、駅まで自転車で向かい、冬は凍てつく寒さと雪の中でひたすら走る毎日。
そして駅に着いても、電車は1両編成。座れるかどうかは運次第。満員で立ちっぱなしの日もありました。
「1本逃せばアウト」──
そんな緊張感の中で毎朝を過ごしていた高校時代。
これが「移動手段は命綱」という感覚の原点だったのかもしれません。
17時まで動けない放課後のストレス
放課後の時間が早く終わった日。部活動がなければ、15時台には下校が始まります。けれど、私の通っていた高校の最寄り駅では、その時間にぴったり合う電車がなかったんです。
次の電車は17時発。
つまり、授業が終わってから約1時間半、無人駅でただひたすら待つしかないのです。駅周辺には大きな本屋もカフェもなく、コンビニすら徒歩では行きづらいような場所。静まり返った小さな駅舎の中で、時間がゆっくり、でも退屈に過ぎていきました。
スマホのない時代なら、本を読んだり、友達と話したり。でも、それが毎日のことになると、精神的にも体力的にもじわじわと負担になります。
しかも、万が一その17時発の電車を逃せば、次は19時発。
その時の絶望感といったら、何とも言えません。親に迎えを頼もうにも、両親は共働き。こうして「移動の自由がないことの不便さ」「時間を自分で選べないことのストレス」が、身体に染み込んでいくのです。
だからこそ、私にとって「自分で自由に動ける車」は、夢でもあり、必要不可欠な道具でもありました。
「車が必要」は甘えじゃない
通学、通院、買い物、家族の送迎――すべての“移動”が制約の中にある。
そんな日々を積み重ねるうちに、私たちの中には自然とこうした感覚が育っていきます。
「いつでも、どこでも、自分の意思で動けるようになりたい」
「誰かに頼らなくても、移動手段がほしい」
それが、地方における“車への意識”の根っこにあるものです。
決して「車に憧れている」とか、「楽をしたい」とか、そういう話ではないんです。
むしろ逆で、“不便さに耐えてきた時間”が長かったからこそ、車があることの安心感や、行動の自由が、心の支えになる。
この感覚は、おそらく都市部の「電車やバスが当たり前」という環境では育ちにくいものだと思います。
だからこそ、この“生活に根差した感覚”が伝わりにくく、誤解されてしまうこともあるのかもしれません。
「贅沢だ」と言われても、「当たり前」が違う。
私たちは、“選んだ”のではなく、“そうするしかなかった”だけなんです。
車がないと、生きていけない街もある
私は子どもの頃から、「移動手段がないことの不自由さ」を身にしみて感じて育ちました。
バスは1日に数本、電車も1本逃せば数時間待ち。
病院もスーパーも、学校もすべてが遠くて、ただ生活するだけで“移動”に体力も時間も奪われていく毎日でした。
だからこそ、ずっと思っていたのです。
――「大人になったら、絶対に便利な場所に住もう」 と。
そして今、私は地方都市で暮らしています。地下鉄の駅まで徒歩1分。スーパーや病院も近く、車がなくても生活に困らない。
家を借りるときは、何より“立地”を最優先にしました。
かつての自分の暮らしを繰り返さないために。
でも一方で、今も生まれ育った地域には、**「車がないと本当に生活できない街」**が存在しています。
移動手段がなければ、働くことも通院することも、子どもを育てることすら難しい。
そんな「車=命綱」という現実を、ここからお伝えしていきたいと思います。
車がないと始まらない、それが田舎の現実
都市部で暮らしていると、「車がなくても暮らせる」のが当たり前になっています。電車や地下鉄、バス、自転車、シェアカー──多様な選択肢が身近にあります。
でも、地方ではこの“前提”がまったく違うのです。
駅まで徒歩20分なんて普通で40分もザラ、バスは1日数本。雪が降れば自転車も使えません。通勤・通学はもちろん、ちょっとした買い物や病院の予約、子どもの送り迎えも、すべて「車」が前提。
つまり、都市部の「歩いて行ける距離」「すぐそこにある交通インフラ」とは、まったく違う土台の上で生活が成り立っているのです。
都市の常識は、地方では非常識。
だからこそ、「車が必要」は地方では“生活の出発点”なのです。
「遠い」は命に関わる、それが田舎の現実
私が生まれ育った地方では、「近くにある」は本当に貴重なことでした。
病院まで片道30分。
スーパーまで20分。
保育園までは毎朝のラッシュを避けて山道を越える。
そんな生活が“普通”なんです。
「病院が遠い」ということは、急な体調不良のときに“すぐ診てもらえない”ということ。
「スーパーが遠い」ということは、買い忘れが“命取り”になるということ。
「保育園が遠い」ということは、1日のスタートと終わりに“ガソリン”が必要になるということ。
地方では、“どこに行くにも時間とガソリンが必要”。
日常のすべてが「車」と「移動距離」によって支えられています。
だから私たちにとって、車は贅沢品ではなく「生活の足」。
遠さと向き合う毎日こそが、車の必要性を教えてくれているのです。
交通費じゃない。“命に関わる移動手段”です
都市部では「数分歩けば病院」「バスに乗ればすぐスーパー」と思えるかもしれません。
でも地方では、“移動=命を守る手段”そのものです。
救急車がすぐ来られない場所。
夜間に車がなければどうしようもない場所。
ガソリンがない=動けない、助けを呼べない、行きたくても行けない。
大げさじゃなく、本当に「移動=生きる力」なんです。
だからこそ、私たちにとってのガソリン代は“交通費”ではなく、“生活費の一部”であり、
もっと言えば“命をつなぐ代償”でもあります。
誰かの生活を支えるために。
自分や家族を守るために。
このガソリンがなければ、私たちは暮らしていけない。
それが、地方に生きる私たちの「現実」です。
ガソリンは、田舎の話じゃない。
──「自分には関係ない」と思っていませんか?
今、ガソリン税の減税についての議論が進んでいます。
でもネットでは、「自分は都会だから関係ない」「車は贅沢品」といった声もちらほら見かけます。
…本当にそうでしょうか?
確かに、都市部で暮らしていると、電車や自転車、徒歩で十分な生活が送れるかもしれません。
でも、その「当たり前」は、地方では通用しません。
ガソリンはただの“燃料”ではなく、生活インフラの一部であり、**「命の移動手段」**でもあります。
そしてもう一つ、大切な視点があります。
それは、地方のガソリン代の高騰は、いずれ都市部のあなたの暮らしにも影響するということです。
農作物を育てる人。
魚を運ぶ人。
物流を支える人。
彼らが負担している“ガソリン代”が、やがて都市の物価を押し上げていきます。
つまり、「ガソリンが高くてもいい」は、
「食料や生活品がもっと高くなってもいい」と言っているのと同じなんです。
どうか、“自分には関係ない”と思わないでください。
田舎と都会、それぞれ違う前提の中で生きていても私たちは1つの流通網でつながっています。
ガソリンは田舎の問題じゃない。
あなたの毎日の暮らしにも、確実につながっている問題です。
ポンポロより
ここからはAIを使わないで執筆しています。
ガソリン高いですね( ; ; )
バス代も上がり、物価も上がり…何をするにも高くなってしまって、出来ることが少なくなってしまいました。
そんな中でよく耳にする「ガソリン減税」YouTubeの動画を見ているとほとんどの方がガソリン減税を望んでいますが、都会に住んでいる方?かは想像上ですが「自分には関係ない」「田舎の人のために税金を使うのか」の様なコメントをチラホラ見かけて、自分なりの体験談や感じたことを記事にしたいなと思い、今回の記事を書かせていただきました。
そして思い出したのが高校生の通学の事…今思えば、よく3年間通ったな〜としみじみと思います。
田舎も都会も関係なく、ガソリンは命綱です。
ガソリン減税、大歓迎です^^
早く安くなってくれ〜